2025-01-01から1ヶ月間の記事一覧
比屋良川沿いに残っている陣地壕跡。 正確な使用者は分かっていないが、内部から歩兵砲の弾が発見されていることから第62師団隷下の「独立歩兵第12大隊」や「独立歩兵第14大隊」と思われる。
古墓に隣接して壕口が開口している。 住民を徴用して掘られた人工壕で、野戦砲隊が使用していたとされる。
山間部に残る陣地壕跡。 名前は部隊の隊長であった「清末 一義」中尉から。 かつては70mほどの長さがあり、壕も貫通していたが現在では途中で崩落している。
敵軍の飛行機や潜水艦が来襲しないかを監視するために造られたコンクリート製の施設。 養護施設の敷地内にあるので、事前に問い合わせをするべし。
谷茶公園内に残るお宮。 本部防空監視哨ができる以前、この地が監視哨として利用されていた。
伊計島北端に残る砲台跡
数多く掘られた陣地壕のひとつで総長350mにもなるが、米軍の猛攻により数日で陥落した。内部には1000人ほどの将兵と一般人が避難していた。田原公園では4つの壕口が確認できる。
シュガーローフとはゆいレールの線路を挟んで反対側にあった激戦地。 かつてはお墓が点在する丘陵だったが、土地開発されて住宅街になっている。 丘陵上部にある公園に、発見された日本軍の備品が野外展示されている。
那覇市金城にある東西に細長い公園。 西の端に美空ひばりの歌碑がある円形の広場があり、かつては日本陸軍独立高射砲第27大隊の高射砲が置かれていた。 台地にあるので那覇軍港や三重城跡、那覇空港方面まで望める。
かつてこの地にあった「沖縄北飛行場」の名残。 ドラム缶を積み、土をかぶせた上にコンクリートを流し固めて構築された。 近くに忠魂碑も残る。
嘉数高台公園内に残されている陣地壕。 コの字型の形状をしている。
宜野湾市嘉数地域に残る丘陵。 嘉数高台公園として整備されている。 トーチカ・陣地壕・弾痕の残る壁などが残されている。 沖縄戦では、第62師団隷下部隊が戦闘を行った。
戦前よりある村獅子。 沖縄戦の嘉数の戦いにより破壊されるが、戦後に補修され嘉数高台公園内に残されている。
かつての棚原グスクがあった丘陵内に残る陣地壕。 東側にある142高地(ロッキークラッグス)をめぐり、米軍と日本軍の激戦があった。 日本軍総攻撃時には、伊藤孝一大尉率いる歩兵第32連隊歩兵第1大隊が棚原高地まで進攻する偉業を成し遂げている。
嘉数高台公園内に残る慰霊碑。 京都之塔・嘉数之塔・島根の兵奮戦之地碑・青丘之塔がある。
嘉数高台公園内の丘の上に残されているトーチカ跡。 北側の面は激しく損傷している。
読谷山国民学校の跡地となる運動公園の一角に残された忠魂碑。 揮毫は陸軍大将の「鈴木壮六」。 昭和10年10月20日に完成したとされる。
伊原第三外科壕から約300mの場所にある自然壕。 沖縄陸軍病院の機能が置かれた。
垣花丘陵内に残る陣地壕跡。 入口には碑があり、内部には崩落もみられる。
斎場御嶽内の「ウローカー」という拝所があり、そこには戦争期に造られた2基の砲座跡が残っています。
与座集落南側丘陵に残る人口壕。 用途不明だけど、数少ない情報で「戦闘指揮所」とあったので、このサイトでは戦闘指揮所ということで扱います。
糸満市字伊敷の国道沿いにあるガマ。 ドリーネというすり鉢状の地形の底に入口がある。 最後の沖縄県官選知事「島田叡」がこの壕内で沖縄県庁の解散を伝えたといわれる。 南部に戦線が移ると日本兵も壕内へ避難した。 地下水が流れ込んでいるので、内部は湿…
北谷町の山中に残される構築壕。 正確な構築者や使用者は不明。 沖縄戦以前は第62師団の独立歩兵第15大隊と独立歩兵第23大隊が周辺に配置されていた。 地上戦時には独立混成第44旅団独立混成第15連隊の第3機関銃中隊が配備されており、これが由来となり当時…
糸満市を見渡せる小高い丘。 さんてぃんもう公園に整備されており、公園の一角に「国旗掲揚台」や「防空監視哨跡」などの遺構が残されている。
浦添市城間に残る渓谷地帯。 沖縄戦時には第62師団歩兵第64旅団と米軍が戦闘を行い、「アイテムポケットの戦い」と呼ばれる。
阿波根の住宅街にある公園の一角にある。 チカジクガマやサキタリガマとも呼ばれる。 沖縄戦時には住民避難壕となった。
運天トンネル(運天隧道)の横にある壕。 奥行もなく、ゴミが堆積している。
八重瀬町安里の丘陵にあった陣地壕跡
糸満集落の中に残る戦前に建てられた電柱。 沖縄戦での損傷が残る。
真栄里地区の住民によって昭和27年3月に建立された慰霊塔。 傍らには歩兵第22連隊について書かれた石碑がある。